金曜日, 9月 24, 2004

お手

キヨハラを飼うにあたって読んだ本の数冊、およびウェブサイトに「しつけにお手はいらない(実用的機能がないから)」と書いてあり、その説はごもっともと思ったのでお手を教えなかった。

しかし「お手」には大切な機能があるのだ。人間様との社交上の機能が。キヨハラに会った家族、親戚、知り合い、友人は、挨拶代わりにキヨハラにお座りをさせ、お手をさせたがる。そして挨拶代わりに「お利巧だ。」と言ってやりたいのだ。
日本人なら「はじめまして。」「よろしくお願いします。」と言えなきゃならないのと同様、家庭犬キヨハラは「お座り」ができると同時に「お手」ができなくてはならないのだと悟った。

そこで練習。最初のうちはトリートを用意していることを察知すると、それだけで興奮して、トリートを持っている手ばかりに注意がいってしまっていた。「お手」と言って、手を持ち上げても彼の注意は手には払われておらず、「エサ、エサ、エサ!」。シッパにありがちな自分のできる芸、勝手にオンパレード(といってもそんなに芸はないが…)。「早く、ください。ハッ、ハッ、ハッ(呼吸が荒い)」という調子だった。
お手をさせたいのに伏せられちゃったり、さらにお腹出されちゃったりしたら、どうすりゃいいのよ…とシッパ同様単純な私は途方に暮れた。しかし体勢を崩したキヨハラを根気良く座りなおさせてやっているうちにキヨハラは「お手」を理解した。
最近「お手」ばかりを重点的にやっていたので、もうトリートを見た途端、お座りして左手をばたつかせるほどだ。

主人に「もうお手は完璧でしょ。」と言うと、「昨日言った(「お手」コマンド出した)けど、しなかったよ。」
そりゃトリート用意しなきゃダメよ、しないわよ。